ピッチ変動を実演している例はあまり無いのではないでしょうか。むしろ厄介者ですから,知らない方が幸せなのかも知れません。実際に純正律を用いて演奏しているもので最初と終りでピッチが変動している演奏は実際にあるようです。しかし,多くの場合,「ピッチ変動」というのは沢山の楽器を擁するオケなどにおいて,温度変化などによる楽器の音程ずれとごっちゃにされている感があります。昔の録音ならアナログ録音の回転ムラのせいにもされかねません。
ここで取り上げているのは,自然の純正律を用いて必然的に起こるピッチ変動(pitch-drift)のことです。REIKOさんのコメントによれば「コンマ移高」とも言われているそうですが,高くなるだけの現象ではなくて,コード進行状況に応じて高くも低くも成り得る現象ですので,どうも用語自体も混乱しているようです。
◆
いま一度,このことを復習しておきます。
和声進行時に保留音は勝手に上げ下げすることは出来ませんので,保留音をつなぎながら,和音構成音の音程を純正に保って行ったら,必然的に起こる現象でした。純粋にハモらせながら特定の和声進行を行うと,必然的にそうなってしまうということでした。上がるケースもある訳ですが,今回は以前の記事ではコード進行のみ示した以下の譜例(下がるケース)に絞って,もう少し詳しく見てみます。
この譜例をいくらナガメテも,ピッチ変動などありえません。通常の五線譜では実音とオタマジャクシが示す音高は一対一に対応しているものだからです。しかし,先日のオイラー格子上で示した通り,始めのドミソと終りのドミソでは位置が変わってしまい,この進行の場合はピッチが下がらざるを得ないのでした。
図式的に表しますと,以下の様になります。

正確を期すべく図中に色々書きこんだら,なにやらムズカシゲな図になってしまいましたが,上の譜例で示した四声体の音の高さ(音程関係)の動きを図式的に表わしたものです。
最初ドミソドでスタートします。各音の音程はバスを1とすれば,テナーが5/4,アルト3/2,ソプラノ2ですね。オレンジの長円で囲みました。
次の和音ではソプラノとテナーが保留音になっていてそのままです。アルトとバスはラに移行しますが,アルトはソプラノの短三度下,バスはテナーの完全五度下を歌うのでしょうか。次はアルトがそのラを保留して,他の三人がそれに合わせて動くはずです。すなわち,ソプラノはアルトの四度上,テナーはアルトの完全五度下,バスはテナーの六度下です。
次はテナーのレが保留されて,他の三人がそれに合わせます。すなわちアルトとバスは保留しているテナーのレからソを取り,ソプラノはテナーの六度上もしくはアルトの長三度上でシを取るはずです。
最後は主和音に戻りますが,アルトのソが保留されて,それに合わせて他の三人はドミソの和音を作ります。
どうでしょうか。最初1 : 5/4 : 3/2 : 2,整数比で言えば,4:5:6:8の音程でスタートした音程比率は厳然と変わらないですが,全体の高さ(すなわちピッチ)が,80/81倍(約-22セント)に低下してしまいました。(水色の破線の長円で囲みました。)
◆
生楽器でこれを試すには,上手な合唱隊か弦楽アンサンブルが要ります。しかし,便利な時代になったもので,フリーソフトAudacityに0.001Hzくらいの精度でトーン信号を発生する機能がある事に気づきました。通常はいちいち音を周波数で打ち込んでいたらかないませんが,このような全体のピッチが変動して行くような場合には却って便利かも知れません。
私はmidi装置は使ったことが無いので,そちらではどうやるのか分りませんが,シントニックコンマ分異なる音高の音階のセットを複数用意しておいて,和声進行などに応じ,純正を保ちながら,音階のセットを使い別けて行くことになるのでしょう。その際オイラー格子でチェックして行けば間違いは起こりにくいと思います。
◆
ではやって見ます。まず,自然の純正律による純正音程で行きます。自然のハモリ現象は利用できませんので,周波数値をなるべく正確に入れるのみです。Audacityのトーン機能に入力された周波数値は小数点第4ケタで四捨五入されて,第3ケタまでが採用されます。内部の処理もこの精度だとして,ここで使っている数百Hzの周波数ですと,±0.002セントほどの音程精度になります。波形は正弦波です。
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
どうでしょうか?人により感じ方それぞれだと思いますが,純正を保つとこうするしかないはずです。一回くらいならばそれほどはひどくなくて,別の進行で1コンマ上昇できれば元に戻ります。
しかし,これを執拗に繰り返せば,あからさまになります。
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
これは同じ進行を四回繰り返したもので,「もう止めて!」とならないでしょうか?
音程が自由にとれる自然の純正律ではなくて,鍵盤の様に一定音程の音階を切り取った音階ではピッチ変動は起こりません。一応やってみます。
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
音程をその都度純正に保つのではなくて,あらかじめ決められた音階ですからピッチ変化のしようがありません。その結果ヘンな和音の響きが出ます。純正よりも短い五度を鳴らしたのですね。
ついでに,比較のため平均律による進行も上げておきます。盛大にうなっています。
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
◆
さて,先日オイラー格子を紹介した際,ミタチさんからコメントいただいていましたが,和声進行の禁則なるものにも,純正律の使用を前提に決められたものがいくつかあるようです。禁則の解釈については皆さん色々おっしゃいますが,本当に納得できる理由を聞いた事がありません。これについては記事を改めることにします。
音律は本質的にアチラを立てればこちらが立たないと言う関係になっていて,これが絶対なんていう音律は無いのですね。
この事はすべての音律について言えることですが,ここでは純正律として自然の音程が自由にとれるものと,鍵盤などに使用される音程が固定されたものとを比較すると,以下の事が言えるはずです。
すべての音程間の5度(4度)3度(6度)を純正を保つ → ある種の和声進行によりピッチ変動を生ずる
純正音程をいくつかあきらめて固定音程とする → ピッチ変動が生じない代わりに特定の和音が音痴になる。